Contents
- 1 はじめに、心の叫び
- 2 事の始まり・・・(2013年)
- 3 抗うつ薬(パロキセチン)と抗不安薬(~パム系)でしのぐ日々
- 4 思い切りババを引いた部署異動・・・人権むしり取られるような感覚そして休職(2015年9月~2016年3月)
- 5 復職→転職、そしていろんな役職がなぜか降ってくる(厄年だから?)(2017年2月~2019年7月)
- 6 で、またキツくなっちゃったわけですね・・・(2019/8~現在)
- 7 一応最初は市役所の支所窓口に行ってみました(2021/08/10)
- 8 定期通院で話を切り出す(2021/08/12)
- 9 結局診断書をいただくことを決意する(2021/08/19)
- 10 民生委員の地区会長にLINEを送る(2021/08/23)
- 11 軽い引き継ぎ
- 12 診断書を書いてもらう(2021/09/02)
- 13 面倒くさい書類群そろえて郵送(2021/09/14)
- 14 とりあえず受理はされたらしい(2021/09/17)
- 15 自立支援医療受給者証届く(2021/10/16)
- 16 入院も経験(2021/12/17~2022/1/13)
はじめに、心の叫び
障がい者なんてなりたくてなってるわけじゃないやい!好んで名乗ってるわけじゃないやい!いちいちこちらの状況を一人一人に説明するのが煩わしいからだよ!ってのは分かって欲しいかなと思います。申請するのにはお金も気力もそれなり掛かるわけなので、短期的に見たら手帳申請なんてしてないでやり過ごす方が手っ取り早いですもの。それでもあえてそうせざるを得ない・・・ってことです。思ってるほど皆さん、心って強くないですよ。壊れて使い物にならなくなる前に色々な選択肢を頭に入れておくべきかと思います。
事の始まり・・・(2013年)
私にパニック・うつ病の障害が顕在化したのは2013年夏頃。当時勤め先にパワハラ上等のセンター長が赴任してきてしばらく経った頃のことです。私も中途入社(キャリア採用枠。他社でそれなり経験を積んできたと認められる者)で入社をして以来ちょっとずつ昇進・昇格を地道に重ねてきており(その間にとんでもない負荷の強い開発案件があって、すごく口や勤怠が悪くなってた時期もあったけれど)そろそろ職制側に昇進しようかという頃です。仕事のプレッシャーが半端なくて、こんな恥ずかしい仕事外では見せられないとか、作ってきたパワーポイントの資料に豪快にバッテン付けられるとか、当時の上長がセンター長にぼろくそにやられているのを横で見ていたので、その都度ドキドキしてきて、たとえ相手(各部門の開発部隊)都合で仕事が途絶えてしまったとしてもすごく落ち込むようになってしまうわ、センター長の前で落ち着いて話ができず「君の話は分からない」「君の書く文章は中学生か」などと言われるようになっていたのですね。そんなわけで精神科・心療内科の門をくぐる羽目に陥ったのです。
抗うつ薬(パロキセチン)と抗不安薬(~パム系)でしのぐ日々
それからは、社内向け発表会のリハーサルとかあれば直前に処方された頓服(抗不安薬)を飲んでドキドキを抑えて乗り切り、その後のリハーサル中は抗不安薬の飲み過ぎ?で頭がヘロヘロになって意識を失ってるってことが続いていたのですが、どうにかそれなりの成果を出すことができて昇進もできました。しかし、上に立ってみるとさらに風当たりが厳しいことを実感して、立ってるのがやっとみたいな感じになりました。登山の経験のある方なら想像つくかと思いますが、尾根伝いに縦走するとき、風雨が強いと遭難しかけるでしょう、あんな感じです。ソフトウェア技術縛りでの新規研究開発テーマのネタ出しに行き詰まりを感じていた私は、ハードウェアも含めた形でのシステム提案ができたらという思いで部署異動の希望を出して、2015年秋に部署異動をしました。
思い切りババを引いた部署異動・・・人権むしり取られるような感覚そして休職(2015年9月~2016年3月)
が、叶っていたのは部署異動という行為そのものだけで(上司というのは所詮その部門内での力しかなく、部門またぎの異動を希望してもなかなか通るものではない・・・トップダウンによる大なた振るった改革の波に乗ることでもない限りは、ということを後になって良く分かるようになり、身にしみました)。異動先はハードウェアの知見を貯められるわけでもなくネットワーク機器と情報セキュリティがほどほど分かっていれば良い部門であり、さらに悪いことに昔からの社風がそうさせるのか分かりませんが、ものすごい社内政治大好きな、陰での足の引っ張り合い・恫喝等が絶えない恐ろしい部署でした。表向きが理知的でおとなしそうに皆見えるので尚のこと恐ろしいわけです。私はお人好しなので、外部企業との協業PJの責任を無理に背負わされたあげく(社内別部門・自部門・外部企業との要求すり合わせを背景含めて半年以内にまとめて実験フェーズまで持っていけ、というすごいミッション)ステークホルダー全員にいい顔だけしていると嘘つき呼ばわりまでされました(電話越しの恫喝なんて日常茶飯事でしたよ。ここで、「メールだと文書で証拠が残るけれど、スマートフォン越しだと証拠が残らないでしょ。だから本音でたたみかけてくるんですよ」っていう同僚の名言をいただきました。メールは極めて慇懃に、電話ではヤクザ、そんなやつが跋扈していました)。当然うつ病は勢いよく進行していくわけです。想像してみてください。会社に行ってできることが回転椅子の上にぼけーっと座ってメールをちょろっと読むだけ、たまに報告をあげれば「また嘘くせぇ」とか周囲に聞こえる声で言われて笑われるんですよ。そんなわけで、2016年春には全く自信を失い、自分を追い詰めるだけ追い詰めて休職・・・という状況を経験しました。そのほんの少し前に会社の保健職の方と面談の約束を取り付けてなんとかしようと思いましたが、ドクターストップの方が早かった・・・(苦笑)。
蛇足ですが、この頃フレンドリーに接してくれていた同僚は、いわゆるフレネミーだったと今では分析しています。そう言えば色々発言がおかしかった。Facebookにまだ小さかった息子を抱っこした写真を私がアイコンにしていたら「持ち方が危なっかしい」って言ってきたり、上長達には覚悟が足りないそう思いませんか?っていう内容を深夜にFacebook メッセンジャーで送ってきたり(なかなか会話を途切れさせてもらえない)。それが最終的には上記にある「また嘘くせぇ」って言ったのと同一人物です(最後まで味方と思ってたけど騙されましたかねって暴言を吐かれた)。あー怖い。二度と会いたくない。でも現職と関わりのある某会社(愛知県にあります)に転職してるので、確率ゼロではないのがイヤだなーと思っていますが、2年3ヶ月ほど経ちましたがまだそういう事態になってないのでOKです。
復職→転職、そしていろんな役職がなぜか降ってくる(厄年だから?)(2017年2月~2019年7月)
9ヶ月ほど休んだので、人よりやや長めになってしまったけれど、それなりに回復はして、復職後は主治医意見(休職時と同じ環境に戻すべきではない)が通って、元々いた部門に戻ることが許され(異動元、ということです)のんびりOS周りの開発をしていたのですが(そのかわり人権は0.6人分くらいしかなかったと思いますよ。例えば在宅勤務許可申請とかさせてもらえなかったし。建前は私が引っ込めたことにされてますけれど、書類一応出そうかというときに上長から「規則正しい生活を送るように産業医からも言われている状態なわけだから、よく体調とも相談して考えてみて」って言われました。要するに圧力ですよね…でも、朝苦手だったので、裁量労働制なのを良いことに11時とかに出社してました。通勤時間1時間40分掛けて。それって、在宅勤務の方が規則正しい生活だったんちゃうんかーいと思ってます)、社会人として活躍できるであろう残り年数がすごく気になるお年頃を迎えて、ちょうどその頃大学の同級生に声をかけられて現職に転職したのです。ついでながら、この頃から民生委員やらマンション管理組合やらのお仕事もたくさん降ってくるようになりました。
で、またキツくなっちゃったわけですね・・・(2019/8~現在)
それで充実した日々が送れたら良かったのですが、やっぱり生来の気質なんでしょうか、完璧主義なところと人当たりが良いところをつけ込まれるというのか、色々仕事ばかり受けてしまい、その受けている仕事(ロハor経費のみ支払いのボランティアも結構ありますよ・・・)に対する催促・文句?が続くようになりました。催促している方にも事情はあるのでしょうが、こちらも自分の可処分時間がどんどん削られていってまして。私、ゆとりがなくなると満足な仕事ができないタイプなものだから仕事が下手っぴと自覚すると途端に落ち込んで神経が持たない・・・ということもあり、ちょっとうまくいかないとイライラして物に当たり散らす、無言になる等、人間・家族関係を悪くしそうな奇行が増えてきました(人前で出したらちょっと退かれるやつです)。・・・8年くらいうつ病なんですよ・・・とはなかなか人に説明できる物でもなく、であれば、手帳を出したらなんとなく察してくれるシチュエーションに身を置いた方が楽かも、と思ったので、いっそのこと精神障害者保健福祉手帳を申請した方が良いのかなと思ったわけです。
一応最初は市役所の支所窓口に行ってみました(2021/08/10)
市のホームページを見ると、書類がいくつかあるようで、診断書についても障害福祉課で配布しています、とありました。簡単な書類だったら支所にもあることが多くて、私の自宅は市役所より圧倒的に支所が近いので、書類がないか聞いてみました。すると「あー、この手の書類は軒並み市役所にしか置いていないんですよー・・・ですので、まずは障害福祉課に電話していただけます?」って暗い声で言われてしまいました。
仕方がないので支所の外に出て障害福祉課の代表電話にかけてみたところ、診断書の書類については医院やクリニックの発行する書式でも、市の用意している書式のでもどちらでもよいので、先生に聞いてみてくださいとのこと。それであれば直近の診察が近いので、主治医に聞いてみて発行してもらうとしようと決めました。残り写真やらマイナンバーやらの提出物が書いてありましてこちらはフォーマットに即した書類があるらしいのですが、今のご時世なので電話連絡いただければ郵送もできますとのことでした。それなら診察してもらったときに診断書書いてもらって、その直後に電話連絡すれば一応は書類は揃うって事ですね。思ったよりは単純に済みそう・・・まぁ同類の精神疾患持ち同士の話題では3級になるか2級になるか等で死活問題に関わる方もいらっしゃるらしいのですが(障害年金額がね…違うらしいのですよ)、私は3類でも認定されればもっけもの位の感じなので、あまりそこは争う気はありませんでしたが・・・。
定期通院で話を切り出す(2021/08/12)
あとはまぁ、主治医に切り出さないといけないわけですが・・・ここでも揉める人は揉めるらしい。愁訴より軽い文面で書かれてこれはひどいとか、面倒くさがって書いていただけないとか、ネットにはありとあらゆるトラブルがこれ見よがしに書かれています。大丈夫かなぁと思っていたのですが(何しろ一度、うつ病ということで診断書を書いて休職をしているので、同じ病名では出しにくいって以前聞いたことがあったものですから)。
ちょっと話をしたら「いつでも書くけどどうする?」って訊かれました。でもそこでなぜか数秒?詰まってしまって。「まぁためらいはあるよね」と言われて今週は見送りになりました。その代わり少しだけ薬を変えてそれでもダメだったら検討しましょうという話になりました。
結局診断書をいただくことを決意する(2021/08/19)
たいして状況変わるわけもなく…だったので、障害者福祉手帳をいただく申請をすることにしました。地域活動を行っているのを強制的に辞めようと思ったら行政の錦の御旗が必要だと思ったからです。そうまでしなきゃ回らないんですか?って思いも少しはあるんですが、たてついても良いことないので人前では黙っています。基本クリニックとかだと主治医の側から「手帳申請しましょう!」なんて言ってくださることは皆無です(自分の力で治していこうとする人で占められているので、本人にその意思がなければ話が進まない)ので、私から言いました。
で、クリニックを出たところで市の障害福祉課に電話をして、申請書類一式を郵送していただくことにしました…が、一回目の職員さん忘れたらしくて(配送が出ちゃった後だから明日出すって言ってて、そのまま忘れたな?)2回電話かけるという羽目に陥りましたが、この程度はね…全体の壮大さからすれば軽微なものです。
民生委員の地区会長にLINEを送る(2021/08/23)
2,3日未読だったのでスルーされてるかと思ったら電話が掛かってきて、明日とか会える?って聞かれました。病気でドクターストップかけられましたってメッセージ投げたのでショックが大きかったらしいのです。悪いことしました…(でもストップかけられたのは事実なので、しょうがない)で、翌日会ったのですが、緊急事態宣言延長中のため1対1で話せる場所ってそんなないんですよ、図書館でぼそぼそと話してましたが、やっぱり咎められて10分も話してないんじゃないかなと…でもまぁ状況は分かっていただけたようです。
軽い引き継ぎ
民生委員って何部かに分かれて活動しているので、その幹部と部長さんとで20分くらい話し合い。その席でまぁうちのマンションの奇天烈な不文律などについてもお伝えした。正直私は後任を見つけて説得の後、引き継ぎ文書の説明をするなんて気力は到底持たないと思われるので、できたら引き継ぎをすごくあっさりした形で終わらせたい、旨を希望として出しただけです。別に中途で任を外れることに関しては咎められなかったのですが、やっぱり幹部の皆さんのお顔はちゃんと拝見できなかったなー。なんか恐れ多くて。
診断書を書いてもらう(2021/09/02)
午前中に妻に書類一式を持っていってもらって、私は午後診療だったので、中に何を書かれたかは分かりません(封がしてあるので。破っても良いのかもしれないが、やっぱり信頼関係大事ですので…)ただまぁ、このままいろんな人につけ込まれていては近い将来潰れてしまいます。場合によっては転地療法を薦めますって書いときましたよ(実家に帰るとかして、雰囲気や習慣の異なる場所に行ってじっくりと規則正しい生活を送ってみる、とか)って言われちゃって。お子さんのこととか考えると踏ん切り付きにくいかもしれないけれど、テレワーク基本ならのんびりしたところで力抜いてやって、千葉には1ヶ月に1週間くらい戻ってくれば良いんじゃない?ってな感じで。薬だけなら紹介状書いといて、実家周辺の心療内科で処方してもらうのも手ですしって。やっぱそう映るのねー。悲しいわ。
診断書は一筆書いていただくと書式はどうであれ5000円+消費税取られますね。まぁこの辺はお約束なので、休職する必要が出たり手帳もらう必要ができたりすれば支払うモノになります。
面倒くさい書類群そろえて郵送(2021/09/14)
必要な書類って、診断書と申請書だけではないのですね。自立支援制度を使う場合は、それ用の申請書と自分を含めた家族分のマイナンバー通知書および保険証のコピーが必要です。あとは自分の写真(運転免許証と同じ縦4cm横3cm)。これらを揃えるのって結構な手間です。証券会社に自分のマイナンバー出すのだけでもちょっと面倒くさいと思う私には、家族分ってのはその数倍になって跳ね返ってくるレベルですので。障害年金を受ける方はさらにもう一個書類があります。なんだかここまでで心折れさせるためにあるような障壁って感じもしてきますが…とりあえず、やっとこさ書き切って郵送しました。今のところ何も言ってこないので、受理はされたんだろうか…?
実は、カーボン紙になっている申請書が含まれていることに気がつかずに、それを下に敷いて別の書類を書いてしまったので一部文字が…写っちゃったのです。それくらい精神的に追い込まれている、と解釈してくださいって…ダメですか。ダメですね。はい、すみません。
とりあえず受理はされたらしい(2021/09/17)
主治医が診断書に何を書いてくれていたのかは藪の中なんですけれど、障がい者手帳交付申請書と自立支援医療の申請受理書が返ってきました。月額自己負担上限予定額のところが重度かつ継続に該当で20000円まで、みたいなので受理されてきましたので、少なくとも自立支援制度は使える立場になったと言うことになりました 。しばらくは受診時にA4用紙のペラを見せる必要があるのですが(手帳くれないとね…)。
以後、抱え込みすぎる事態になりそうになったら「障がい者で、それほどパフォーマンス期待できないですけれどそんなのでもよろしいですか」って言ってみようかと思います。ドン引きかもしれないけれど、考慮されないでいられるよりはマシかなと思いますので…。
自立支援医療受給者証届く(2021/10/16)
ようやく何か来たと思ったら、先に自立支援制度の受給者証が届きました。これ指定医療機関決め打ち(変更あったら再度申請し直しになる)なので、もしかしたら都内の大学病院への転院も考える必要があるかもってところで使い道がなくなる可能性があります。今の先生と調剤薬局に対する信頼度がそれほど高くないのです。調剤薬局に至ってはこのたび「一包化したら湿気を吸ってしまうからダメよ」って添付文書に書かれていた薬を何の疑問も持たずなのか一包化してくれちゃって、1週間もしないうちにベタベタになって苦ーくなった奴を飲まされていた(これでは薬効も変わってくるかもしれないそうです)という事態に遭遇したので。それに、このまま自立支援で通っていても自己負担額が20,000円上限なので、そうそう超えることなさそうってのもある(現在月1,2回の通院ですので…薬代28日分で9000円ちょっと、診察が3割負担で1430円とか。だったら超えてないんでね…)。まぁ明日通院なので考えようかなと。千葉に住んでいて、都内の大学病院に通うとしたとき、自立支援制度って使えるのでしょうか?また分からんことが増えた気持ちです。
入院も経験(2021/12/17~2022/1/13)
まさかの検査入院も経験致しました。飲んでいた薬がそもそも常用したらあまり良くないもの&変に古い薬を使っていた等が発覚しまして、薬の置き換えをするに当たって様子見が必要とのことで。精神科の入院病棟なんてめったに入らないところかと思われるので、その話は別途いずれ…。